1974年6月に竣工したすすき野団地。かつては田園都市の新興集合住宅として人気でしたが、子育て世代を送り出した今はこどもたちも少なくなり、はしゃぎ声を聞く機会も少なくなりました。学区であるすすき野小学校が閉校になってしまう理由は児童数の少なさが影響していますが、その学区のほとんどを占めるのがこのすすき野団地です。平成最後の年、今のすすき野団地はどんな感じなのでしょうか?
すすき野団地とは?
すすき野団地は横浜市青葉区すすき野3丁目に建つ集合住宅です。1974年竣工のため、築年数は40年を超えました。
総戸数は820戸あり、かつては新興住宅地として人気もありましたが、子育て世代を送り出した今はこどもが少なくなり、学区の小学校であるすすき野小学校も2020年3月をもって閉校となることが決定してしまいました。すす小閉校については『すすき野小学校は無くなっちゃうの!?』にて詳しく書いていますが、とにかく寂しいです。。。
僕はすすき野団地の住民でしたので、想い出もいっぱいですが、今のすすき野団地はどんな感じなんでしょうか?
すすき野団地をちょっと散歩してきました!
3街区を散歩してみよう
すすき野団地を散歩してみようと気軽に全部回ろうとすると、結構な広さになるため今回は3街区だけにしておきます。
手始めに3-14辺りから始めましょう。

なだらかな下り坂が続くため、こどもたちの遊び場になっていた通路です。ドッジボール、一輪車、縄跳び、サッカーなど必ずこどもが居た場所です。
こちらは3-10の向かいにある空き地。

僕がこどもだった時は砂場だったんですよね。今では駐車場になっている部分もブランコとか遊具があって、こどもたちの遊び場が多かったんです。やはり、こどもが少なくなったせいでしょうか。今暮らしている人々の住みやすさを考えた修繕がされているのでしょう。

こんなに様変わりしてしまうと、久しぶりに戻ってきた人は分からないかもなぁ。
3-10から3-7へ
こちらは3-9の手前、すすき野中学校に向けて伸びる上り坂です。

駐輪場の場所も植樹も昔のままですね。
ただ、小さい頃は広く感じていた道路も、大人になるととても狭く感じます。
坂を少し登り、3-8の向かい側に登場する砂場。砂場で遊ぶよりも生け垣沿いに張り巡らせられているフェンスをつたい、木に登って遊ぶことが多かったです。

確実にサクランボではないですが、「サクランボだ!」と言いながらこの木になる実を食べてました。緑→赤→黒の順番に熟す、ピーナッツ一粒ほどの木の実です。食べても問題ないものだったのかは謎ですが、大量に食べた記憶があります。
3-9を右に曲がって3-4へ
こちらは3-8と3-9の間にある通路。

やや下り坂で、正面には砂場が見えます。この通路を通って隣の並びである3-4~3-6に行きます。

この右手奥に下り階段があり、文教堂(今はないけど)に行くときは絶対通るんですよね。

「あっ!これ懐かしいなぁ〜」
これ、何なのか分からないですけど、小学生の頃はどこでもドアと呼ばれていたり、秘密の抜け穴とか言われてました。すすき野団地の3街区エリアに似たような鉄扉のようなものがもう一箇所あって、そこと繋がってるとか。。。
実はこの中に本物の扉があって、今はバリアが張られているから入れないという話を信じ、みんなで蹴りまくってましたね。
そして3-3から3-1へ
こちらは3-3の向かいにある公園。

ブランコの向きが変わったような気がしますが、遊具がしっかり残っているのは嬉しいですね。
ブランコは立ち漕ぎでMAX振り幅までいったら、勢いつけて靴を蹴り飛ばし、一番遠くまで飛んだ人の勝ちゲームをやってました。
すすき野小学校から歩道橋へ
こちらはすすき野小学校前の横断歩道を通って歩道橋に抜けていく通路です。

こちらも小学生のときは横幅の広い通路の印象でしたが、今歩くと狭いです。
左側の壁めがけてボールを蹴る「壁当て」をやっている友達多かったんですが、誰も遊んでない・・・。
そして、すすき野団地の3街区と6街区を結ぶ歩道橋。

歩道橋がこどもたちの待ち合わせ場所でしたね。
「ランドセル置いたら歩道橋に自転車で集合ね!」
この歩道橋を起点として、3街区、6街区、美しが丘西の遊び場を攻める感じです。今の子たちはどうしてるんだろう?
国税庁が定める建物・設備等の固定資産の法定耐用年数によると、すすき野団地のような鉄骨鉄筋コンクリート造の住宅は 47年と定められています。47年を経過したら壊れるというわけではありませんが、一つの指標として考えると、すすき野団地は2021年に築47年を迎えます。3街区、6街区を考えると相当大きな土地ですので、そろそろ建て替えの話が具体化しても良い気がします。